遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

「自分の価値」について

  

「自己価値を満たそう」

 

そんな言葉を聞いたことがあるかもしれない。

 

自己肯定感」とか、

 

付随する「承認欲求」とか。

 

そういうのを多少なりとも学んだ人向けに書いてます。

 

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これにもサクッと書いたけど、

内側と外側 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

 

自分の価値は、

 

本来誰にも決められない。

 

でもやはり、

 

人からの評価って気になるよね。

 

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小さい子供を見ればわかるけど、 

 

子供は「お母さん」に認められることが、

 

生きる上でかなりの優先順位の上位を締める。

 

それは仕方ないようね。

 

子供は母親から愛されないと(守られないと)生存できないんだから。

 

でも、

 

大人になっても結局、

 

人は自分の存在を、

 

人を通して認めることを続ける。

 

人は鏡だし、 

 

人と人との違いや、比較によってしか、

 

自分を知ることができないのだ。

 

 

それはなにも悪いことではない。

 

しかし、

 

それも「度合い」と「塩梅」だ。つまり、

 

バランス」なんだよね。

 

往々にして、

 

 

「他人を使って」自分の価値を高めようとする人は、

 

自分に都合の悪いことが起きた際も、

 

「他人を使って」自分の価値を守ろうとする。

 

 

簡単にいうとね、

 

人のせい」にしてしまう、

 

ということだ。

 

(本人はその心理の動きに気づけません。気づきたくないからね)

 

現象として、陰陽の現れ方が逆だけど、根底は同じだ。

 

 

実は人って、

  

 

・私は正しい、あなたは間違っている

 

 

という前提が働いている。 

 

 

「いえいえ、そんなことありません、私は自分で自分をよく責めます」

 

 

って反論あるかもしれないけど、

 

そもそも、責めるってことは、

 

 

「価値観の相違」「正そうとする」欲求があって、

 

 

責めるんだよね?

 

 

でも、そもそも、

 

その価値観を行使しているのは誰か?

 

 

ってなると、それは「自分」だ。

 

その価値観にも基づいて、

 

責めるってこと。 

 

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自分の「正しい価値観」に照らし合わせて、 

 

自分を責める

 

か、

 

人を責めるか。

 

 

一見違うようで、実は根底は一緒

 

 

まあ、

 

その「正当性」を持っていないと、

 

僕らの未熟な精神は耐えれないのだけどね・・・

 

そこはまた別のテーマで説明するよ。

 

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「あなたはわかってない!」

 

 

そんなセリフを、過去に何度も言われた事がある。 

 

当然これは「相手に責任の過失を求める」言い分だ。

 

僕の両親や、死んだ兄は、口癖にようにこれをいつも言う人たちで、

 

僕は「お前はわかってくれない!」と責められることは子供の頃からよくあり、 

 

大人になると、それを投影したのか、

 

妻を含め、女性から定期的に言われた言葉です。

 

「あなたは(私を)わかってくれない!」

 

 

感情的になってたのだろうけど、

 

言われた僕は、

 

「わからない自分が悪い」という気がして、

 

「わかってやれない」自分を責めた。

 

きっと、傷つきやすく繊細なあなたも、

 

似たような事を経験した事あるかもしれない。 

 

 

でも、ある日、

 

 

「なんでそんなこと言われないとならないんだ?」

 

 

と、冷静に思えた。

 

心のこととか、エネルギーの事とか、勉強し出してからかな。

 

「わかってくれない」

 

 

は、

 

ただただ「人のせい」にして、

 

 

母親に認めてもらいたい子供の心理と同じなのだ。

 

 

そもそも、

 

人と人とは、

 

基本的に「違うのだから、

 

 

わかるはずないのだ。

 

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スピリチュアルなメッセージ。

 

僕らは繋がっている。

 

僕らはワンネスだ。

 

うん。

 

その通り。

 

僕は深い瞑想や、

 

瀕死の状態を経て、

 

それを、多く体感している方だと思うよ。

 

 

しかし、

 

 

僕らは「違う」のだ。

 

 

違うからこそ、

 

この世界は一つなれるのだ。

 

一見矛盾に満ちたこのlogic(理論)。

 

この「聖なる矛盾」への理解こそが、

 

統合」への一つの道である。

 

 

パズルのピースだと思ってもらってもいい。

 

違う形だからこそ、そこにぴたっとハマるのだ。

 

歯車が噛み合うのだ。

  

我々の「自我」は多面体で、

 

繊細な存在であり、パズルのピースであり、歯車でもあるのだ。。

 

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この地球は三次元の星。

 

「分離」を体験する星だ。

 

ここをしっかり受け入れてこそ、

 

「地に足ついたスピリチュアル」とも言えよう。 

 

そして僕らの「思考」も、立派な分離。

 

(心の深い部分では、繋がっててもね)

  

 

だから、

 

上っつらの思考は、僕らは共有できない。

 

それが「人は人をわからない」ってことだ。

 

だって違うのだから。

 

そこをしっかりと受け入れることから始めないと、

 

いろんなことがずれてしまう。

 

自分の価値観と同じだと「期待」することよって、

 

他者の「共感」を「コントロール」したい思う事によって、

 

その期待を「裏切られた」と錯覚し、

 

「被害者」となってしまう。

 

 

自分が被害者で仕立て上げるかぎり、

 

この世界での「自分のポジション」が、

 

被害者として存在してしまうんだよ。

 

だって、世界は自分の意識が創っているのだから。

 

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結局何が言いたいかって言うと、

 

人から与えらえた価値観では、

 

自分は満たせないってことだ。

 

満たせたと錯覚するのは一時で、

 

すぐに枯渇してしまう。

 

でも、人からもらえる価値観は、

 

まるで麻薬のように甘美なのだ。

 

だから、何度も求めてしまう。

 

しかし、

 

そこじゃないよね。

 

自分で、自分を満たすしか、

 

そのステージはクリアできないんだ。

 

「被害者」も「加害者」もいない、

 

統合された世界へ進むには

 

自己価値を自分で決めること、

 

そこなんだよね。

 

 

もちろん、 

 

「やりきる」

 

も大事だよ?

 

自分を責め、人を責め、被害者になりきる。

 

そういう時期も、人は経験するだろう。

 

でも、

 

そこにある日気づく時がくる。

 

そしたら、次のステージだよ。

 

 

あなたの価値は、

 

あなたが決めていい。

 

あなたは、あなたの世界でもっとも重要な存在だ。

 

オンリーワンなのだ。

 

忘れないでね。

 

あなたを深く満たせる他人は、存在しないからね。 

 

今日も世界は美しい。

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7月1日 大阪。  残席8名4名

ドラゴンメディテーション伝授会・大阪 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

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