遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

ただ、在る

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実は僕、今はこんな感じでゆるいブログ書いてますし、

 

生活スタイルもかなりゆるゆる。 

 

でもご存知の方も多いと思いますが、

 

以前はかなり「ストイック」なライフスタイルでした。

(だから未だに「仙人」っぽいって言われんのかな 笑)

 

朝は4時半に起床。

ベジタリアン

添加物、砂糖を取らず、

日々の座禅とストレッチ、ジョギング、

論語素読(息子にもやらせた)など、

平成の世とは思えないですね。

 

そう、あの頃は「修行」が趣味だったんですね(笑)

 

で、

当時「玄米道場」っていう、

健康、食、養生法、医療、政治の裏側など、 

そういうのに特化したブログを3年くらいやってました。

 

かなりいいことも言っているんですけど、

いかんせんストイック・モード、

かつ、

否定が多かった。

現代生活、資本主義、マスメディア全般、医療業界、陰謀論

 

そいで、

アメブロに引っ越して、

その後、

今のはてなブログに落ち着いているんだけど、

けっこう「玄米道場」からの読者さんも多い。

ありがたいこったす。

でも、

あまりに今のキャラクターや、信条と違うので、

この秋に「玄米道場」は閉鎖してしまったんです。

 

すると、

最近こんなメッセが届きました。

 

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以前僕が「ただ在る」という記事を書いたんですが、

それに感銘を受けてブックマークしてたのに、

気づいたらなくなってた!

ぜひその文章をもう一度読めないかと。

 

一言、

 

感想を言っていいですか?

 

 

 

マジで嬉しい!

 

 

 

こんな嬉しいことってありますか奥さん?

 

感激したのは僕の方です。

 

で、

 

その記事のバックアップがなかなか見つからず、

「すいません、データを無くしました」って言ってたんだけど、

今日、

普段使っているmac book airでなく、

mac book pro(死んだ兄の置き土産です。改造されまくりですが)に、

ちゃんとバックアップを残してた事を発見。

 

そんで、

読み返すと、

なかなかいい事書いているので、

そのままこちらに転載します^ ^

 

 

___________________

 弥栄です。涼しくなってきましたね。 

 近隣でもストーブを付ける家やお店が増えました。

我が家はまだ何も暖房はしていませんが、そろそろ火鉢を付けようかと思っています。

  

さて、今回のタイトル。「ただ在る」ですが、意味が分かりませんよね?

 

 しかし、この「只、在る」という意味を考えてみましょう。 

私はこの言葉でかなり救われましたし、現在進行形で救われています。

 

 いいですか?

 すべては、ただ、在るだけなんです。 

 この世界も、宇宙も。戦争も、紛争も、犯罪も、虐殺も、レイプも。

 妻も夫も親も子供も友達も。肉も野菜も魚も。薬も食品添加物も、

 牛乳もコーラもマクドナルドもファミレスもコンビニも。

  

 ただ、在るだけなんです。

 

 それ以上でも、それ以下でもありません。只、そこに在る。

 そこに、私たちの感情なんて、存在しないはずなのに、私たちはそれを裁く。

 ただ、在るだけなのに。

  

 私たちは、それをただ受け入れられず、感情で、判断する。正否を付ける。

 ただ、在るだけなのに。

 私たちは、そこに善悪を見出そうとしてしまう。

 それで、誰かを責める。個人、団体、国家。たまに自分。

 裁いて、責める。そんな事をしても、何の意味もないのに、善悪を決めつける。

 良いとか、悪いとか、私たちのつまらない感情で、決め付ける。

 でも、本当は「ただ、在る」だけなんです。

 ただ、そこにあるんです。すべて、ただ、在る。

 理由なんてないのです。良いも悪いもないんです。

 

 意味をつけるのを、やめませんか?

 

 私はそれに、最近気付きました。

 

 否定を、やめませんか?裁くことを、やめませんか?

 

 私はそれで、すごく楽になりました。

 

 あれが悪い、これは悪い。これはダメ、それは良くない・・・。

 そう考える事で、自分の世界をとても狭くしてしまいます。

 

 例として、我が家の話をしましょう。

 私はずっと、息子が添加物バリバリの食品を食べること、白砂糖たっぷりのお菓子を食べる事、抗生剤入りの肉を食べる事、粗悪な牛乳を飲むこと、暴力シーン満載のテレビを見ること、その手のテレビゲームをすることに嫌悪し、否定していました。

 そしてそれらの存在を否定し、非難していました。陰陽とか、食養生とかを意識して、陰性食を取らせることに、思い切り抵抗がありました。

 

 自分自身は、それらにどっぷり浸かり、心身を病み、そしてそららを排除する事により、人生を建て直し、健康と幸福を手に入れました。玄米道場のブログを始めたのも、そういった知恵を、一人でも多くの人と分かち合いたい、同じように困っている人がいたら、何かの役に立てるかもしれないと思い、始めました。

 私自身はやはり添加物は取らないし、ジャンクフードを食べることはないでしょう。牛肉も好きでなくなったので食べません(でも、美味しい魚や鶏肉は好きなので、以前に比べて食べるようになりました。コーヒーも飲むようになったし、甘いものも、ちょっとは食べるようになりました。以前はすぐに変なものを食べると頭痛がしたり、吐き気がしたり、首が痛くなったりしましたが、この頃はよっぽどのことがない限り体調に影響を及ぼしません)。

 *注釈 今ではカップラーメンでもなんでもいけます!

 まあ、そんなにたくさん食べないけどね(笑) 

 

 しかし、息子にそれを押し付けるのは、完全に間違っていました。

 何故なら、息子の人生は、息子の人生。私の人生ではありえないのです。

 息子の人生は、息子が選び、作っていくものなのです。

 

 もちろん、乳幼児ならば、こちらがある方向に導く事ができますが、自我を持つようになってからは、そう簡単にいきません。もちろん世間にはたまたま、私のような食生活を受け入れる子もいるでしょう。暴力的なテレビやゲームに、関心を持たない子もいるでしょう。

 でも、ウチの息子は違いました。甘いもの好き、添加物に興味あり、テレビやゲームが大好きです。

 

 私はそれを、受け入れていなかったのです。自分とは違う、という事実を。つまり、息子を理解せず、受け入れていなかったのです。今回の不登校の根本的原因はそこにあります。彼は否定されて7年間生きてきたのです。

 

 息子という人間は「ただ、在る」のだと、ようやく最近、身にしみてわかりました。

 私とは違う価値観をもち、私とは違うものを望む、一人の人間。

 ただ、そこに在るだけで、完璧な存在だったのです。

 

 自分の親だってそう。舅や姑もそう。私の持つ価値観や、判断基準はまったく受け付けてくれない人々。

 前は、それを「否定」していました。

 どこか、自分が一段高いところにでもいるようなつもりで。「分かってねえな」と。

 

 でも、それはそれ。私は私。彼は彼。親は親。

 それぞれが、自分の因果応報で、鏡の法則で生きている。私がそれに対して、いったい何を言う権利があるのか?何を裁く権利があるのか?

 ただ、在る。

 それだけです。

 

 私は私の養生法があり、実践しています。私の価値観があり、日々物を考えたり、何か創作したりします。ただ、それだけです。こうしてブログで情報を発信したり、身近な人に問われれば養生法や健康法を紹介しますが、人がそれをやるかやらないかは、私にはどうにもならないし、やってもやらなくても、私の存在とは関係ないのです。それが例え、妻や、両親や、息子であっても。

 そして、私という存在も、常に変化するので、去年と今年、先月と今月、昨日と今日では、やる事、言う事が、ちょっとずつ違ってきます。去年は誰かと同じ価値観でも、今年は違う、という場合もあります。

 でも、それはただ在るだけで、例えばそこで「裏切られた」とか、「こんなはずじゃなかった」とか言うのだとしたら、とんだお門違い、勘違いです。

 だって、人と人は、違うのですから。違って当然。違って当たり前。

 

 一期一会って言いますが、この感覚なのではないのでしょうか?

 

 ただ在る。その中で、例え一瞬でも、何かを共有できるのだとしたら、それはまさしく『奇跡』なのです。この広い宇宙で、同じ何かに共感し、共有できる何かを持ちえるとしたら、奇跡です。だから出会いは大切にすべきなのです。

 

 でもその感動をただ、自分の中で、幸福感としてとどめればいいだけです。もちろんその喜びを、第三者に伝えるのは構いませんが、その価値観を押し付けるのだとしたら、それは違いますよね。

 

 すべては「ただ在る」。大事なのは、自分。

 人が何を思ったとしても、それは只、それだけ。自分の本質とは無関係です。

 

 主人公になりましょう。物語を作りましょう。悲劇のヒロインはやめましょう。ハッピーな物語を、創造しましょう。できるのです。人間には、それができるのです。

 

 絶対大丈夫です。何が起きたって、大丈夫です。だって、この宇宙の中に、すべては「ただ在る」だけなのですから。

 

 魔法の言葉です。「ただ在る」。

 何か嫌なことがあった時、この言葉を実際口に出してみてください。

 現象に対し、自分の湧き上がる感情に対し「ただ在る」と言うのです。すると、気分がぐっとニュートラルになるのを感じると思います。是非お試しください。

 以上、「ただ在る」のお話でした。

 

転載終わり

____________________

 

ちょうど、

ジャッジしまくり、否定しまくり人生からの、

 

転換期でした。

 

 

脳科学や、心理の事を学びはじめ、

兄の死や、不思議な体験をし、

瞑想を深め、なんらかの真理を知った頃です。 

 

こうして見ると、まだまだ堅い人物像が見えますが、

人は変わりますね。

 

*ちなみにこのあたりから「玄米道場」のアクセス数は激減(笑)

まあ、同じくジャッジして否定して生きていた人たちからすれば、

方針が変わりすぎてついていけなかったんでしょうね。

 

 

でも、

「ただ在る」

という、絶対的真実。

 

何が起きようとも、

誰がどこにいて、何をしようとも、

 

理由なんてない。

 

理由は全部自分がくっつけているだけ。

 

真実は、

 

ただ、

 

在るだけ。

 

存在しているだけで、

 

この世界は完璧。

 

この宇宙は完全に調っている。

 

だから、

 

安心して生きていけるようになったのだ。

 

って、

 

お話でした。

 

長いお話に付き合ってくれてありがとう^ ^

 

そして、

 

年末にこうして、

自分自身、過去の自分と向き合えたきっかけをくれた読者さんに感謝です。

 

 

2017年 2月
  
 2日 ビジネスのための瞑想講座。

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 7日 霊性を高めるための瞑想講座。

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瞑想を深めるためのフォローアップ瞑想会も計画中です。
 
東京、名古屋で開催予定。
 
近日、詳細、申し込みは公開します。 
 
*大阪はまだ未定です。

 

リトリート企画も、

密かに進めています。

 

八ヶ岳は冬はおやすみですが、

いろんな土地との龍脈をつなぎ、

豊かさを循環させます。

 

 

ご好評の「0瞑想」誘導動画はこちらのブログ内から。

「0(ゼロ)瞑想」誘導動画。 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

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歌の動画。YouTubeに貼ってみた。 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

 

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大島ケンスケ 独演会  2017年 スタートします。

 

近日公開予定。

 

 

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