遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

ゼロになる瞬間

 

僕の森(山)歩きmei-souセッションに来てくれた人は知ってるんだけど、

僕が深い森とかを案内し、

瞑想とかする中で、

必ずやるコトがあります。

 

それは、

 

一人で歩いてもらう時間

 

を作る事。

 

 

基本的にほとんど人がいない場所を歩くんで、

 

参加者の方にどこかで待ってもらって(一本道ですよ)、

「僕の姿が完全に見えなくなったら歩き出してください」

と伝え、僕はすたこらと先へ進み、

参加者の方には一人で森を歩いてもらいます。

 

 

僕自身、

いつも一人で山を登ったり、

深い森を歩いていて思うんです。

 

自分は世界にただ一人の存在。

 

 

この世界を丸ごと包みこむ孤独感。

 

そんなものを感じつつも、

同時に相反する感覚を得ます。

 

自然の気配の中に溶け合い、

自分はこの世界そのものだ。

 

という感覚。

孤独感と一体感という相対するものを、

同時に持っているんです。

 

 

正直なところ、

この感覚を言語化するのは難しい。

だからあまりこの手の事は、

書いてこなかった。

 

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でも、僕の大切な尊敬できる友人、

「藤井みのり」ちゃんのブログ。

sexrecipe.hatenablog.com

彼女の純粋かつ力強いメッセージに触発されて、

今これを書いてます。

 

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僕は常々「瞑想」について説明する時に言うんだけど、

 

「思考(考える)」

 

から、

 

「感覚(感じる)」

 

へのシフト。

 

この「感じる」ってのは、

 

「きれい」とか「気持ちいい」とか

 

そういう「言語化」する前の状態です。

 

 

つまり、

本来僕らの感覚って、

言葉じゃないんです。

言葉にならないんです。

 

それを僕らの「思考」は分析し、

言語化して、

思考認識の枠にはめてしまう。

 

 

「ワンネス」って言葉、

みんな知っていると思うけど、

 

この世界は本当に「ワンネス」です。

 

これ以外ありえません。

 

分離はないのです。

 

宇宙全てが一つであるという感覚、

僕はそれを体験し、

価値観がひっくり返りました。

 

言語というのは僕らの世界において、

まあ便利なものですが、

世界の「切り取り」を意味しているんです。

 

僕は「ワンネス」って言った瞬間に、

「ワンネス」という既成概念を、

大いなる一つの存在から切り離しているんです。

 

つまり、それが「分離」。

 

もちろん、この3次元世界は、

「二元」の世界。

すべてが「わたし」と「わたし以外」で認識されている。

この「分離」の中にこそ「学び」なので、

それが良いとか悪いって事じゃあない。

 

でも、

あまりに「分離」が過ぎたり、

「わたし」と「その他世界の何か」を区別し、

ジャッジが過ぎると、

 

分離感=喪失感となり、

 

喪失(したと勘違いしてる)した部分を、

埋めるためにあくせくしてしまう。

つまり、

「ない」ものをフォーカスし、

埋まらないはずの部分に、

無理やり何かをねじこもうとしている状態。

 

僕らはそれにストレスを感じたり、

肉体的、

精神的に疲れてしまう。

 

うまく説明出来るかわからないのだけれど、言葉とか名前といったものがなければ、もっとそのものを愛せたのかもしれないと思うのだ」

 

と、みのりちゃんの言うように、

「分離」は我々の「本質」とはかけ離れている状態なので、

それとの「根源的なつながり」を失いやすいのだ。

 

だから時々は、

バランスを取るために、

一体感を得る事が必要だ。

 

生命的な原点として、

「自然」はそれをいつも教えてくれる。

 

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僕の「0(ゼロ))瞑想」や、

森歩きは、

まさしくそれを目的としている。

今この瞬間に、

何も所有できないという事実。

何の過去(記憶)もないという事実。

何の未来(予定)もないという事実。

すべては今ここに、

完璧に調和して、

分離などないと感じる瞬間。

 

 

「自然の中で1人になる時間をより大事にしていきたいと感じている」

 

 

彼女も言う通り、

自然の中に一人で対峙する時、

それを得やすい状態となれる。

 

それが僕らにとっての大いなる「癒し」となり、

インスピレーションを受け取り、

本来の自己を取り戻す事につながる。

 

自分なりに一生懸命に耳を傾けてたどり着いたのは「原点に還れ」ということだった。わからなくなったら、原点に還る。そこには自分という存在と同じ旋律のようなものが流れていて、それを思い出すことが、もう一度生まれ直すということのような気がした。また新しい、自分に飽きることのない自分を選んで歩き続けていきたいと思う。」

 

彼女は様々な体験をし、

とことんまで自分と向き合い、

その感覚を手に入れた。

原点に帰って、

新たな自分となって、

自分を選び、

歩いていく。

彼女の今後の展開も、目が離せないね。

 

僕の「0(ゼロ)」という感覚は、

「なんにもない」

と同時に、

「全部ある」

という意味合いを含む。

ゼロポイントはすべてを包括する。

 

僕はその感覚が愛おしくて、

森の中を歩いたり、

山に登ったり、

瞑想したりしている。

 

そんな素敵な感覚を共有できるって、

とても素敵な事だ。

 

もっともっと、

そんな仲間を増やして、

この世界で遊びたい。

 

 

 

真夏の新月8月3日 残3名

真夏の満月8月18日 残3名2名

豊かな自然の中で、

自分の本質と出会う。

loose-meisou.hatenablog.com

 

あなたも旅に出よう!

ちょっと遅い夏休み。

9月4日 瞑想リトリート 第3弾! 

6名5名4名3名!

loose-meisou.hatenablog.com

 

 

 八ヶ岳mei-sou メニュー

(場所 八ヶ岳山麓にて)

 

いつでも「0(ゼロ)」に戻る。

いつでも「本質」と共に在る。

それがゆとりと安心を作る。

それが心の奥のオリを浄化する。

 

こんな方に、mei-souをお届けします。

 

・今の自分を変えたい。

・色々学んだけど、行き詰まったり、いまいちピンと来ない。

・自分に自信がない。

・子育てやパートナーとの関係。

・漠然とした不安感。

・集中力、リセット力を高めたい。

・忙しい日々の中での休息方法を知りたい。

・本当の豊かさのため、心の安らぎとゆとりを得たい。 

 

 

mei-souセッション(約2時間)

瞑想と個人セッションを通して、

あなたの本質からのメッセージに寄り添います。

 

38888円 

 

 

mei-souセッション&自然散策(約4時間)

八ヶ岳山麓の大地のバワーを受けつつ、

個人セッションと瞑想を通して、

あなたの本質に向き合います。

 

58888円 

ご希望で昼食、温泉。

 

 

山歩きmei-souセッション(朝から夕方までの1日コース)

自然の中に身を起き、感覚「そのもの」になる。

瞑想状態を維持し続けることにより、

本質からのメッセージを受け取ります。

 

128888円 

 一ヶ月間のメールサポート付き。

 昼食、温泉つき。

 

諏訪大社巡りコースもあります。応相談。

*こちらの個人コースは夏で終了します。

 

東京、名古屋近郊、出張セッション受け付けています。

瞑想会なども応相談。

 

感想などはこちらから。

山歩き瞑想 感想|FREEDOM

瞑想だって、継続は力。|FREEDOM

春の山歩き瞑想セッション - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

夏至で満月 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

満月グループ山歩き瞑想&セッションの感想 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

山歩きmei-sou(瞑想)の感想 2 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

 

 

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