遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

「いい子」をやめよう。

 

うちの息子はいい子です。

 

わがまま言うし、

 

ゲーム何時間でもやるし、

 

夜更かしするし、

 

小遣いもらったらすぐ全部使うし、

 

足遅いし。

 

高いとこからジャンプできないし。

 

学校嫌いだし、

 

たまにずる休みするし(笑)。

 

 

 

とてもいい子です。

 

 

 

え?

 

普通逆だろって?

 

でも、良い子ってなんでしょう?

親の言う事を利くのが、素直な良い子。

親を困らせないのが、やさしい良い子。

 

それって、

 

 

間違いだよ。

 

 

 

僕は小さい頃、

 

「いわゆる」、いい子でした。

 

・親の言いつけは守る。

 

・親の言う事は、多少疑問があってもやる。

 

・親が嫌な顔するような事は言わない。

 

・親が怒るような事はしない。

 

・親が悲しむような事はしない。

 

・親ががっかりするような事はしない。

 

 

しかし、

 

僕の内側では悪魔が育っていきます(笑)。

 

「良い子だね」「素直だね」と言われるたび、

その悪魔は身震いを起こし、力を蓄えた。

 

 

小学校高学年頃、それが爆発。

相当なワルになりました(笑)。

 

カツアゲ、万引き、いじめ(自殺しそうになったやつもいた)。

 見事な学級崩壊。他校との揉め事、ハレンチ行為の数々。

担任の教師はノイローゼで入院し、ニュースにも取り上げられた。

 

 

しかし、超知能犯の僕は、

 

 

悪事が絶対に親にばれないように工夫していた。

  

完璧なリスクマネジメントをこなしてた(笑)。

 

 

中学生になり、母が重病になり、 

こちらが彼女の意に反する事をやると、

ショックで呼吸困難になったりするので、

さらに行動は慎重にしなければならなかった。

 

 

と言っても、ヤンキーになりたいわけでもなかったし、

腕っ節も弱いし、

ただただ目立って、周りをどっかんどっかん沸かせて、

人気者で居られればよかったんだけど。

 

高校生の頃、

 

「目立つ」、「楽しむ」、「女の子と遊ぶ」ためには、

 

どうしても「力」も必要。

 

だから自然とそういう友達も増える。

まあ僕は巧みな話術と抜群のユーモアがあったので、

腕っ節なんかなくても、楽しくやれた。

実際真面目な奴らより、

そういう連中の方が一緒にいて刺激あったし、

気が合った。

 

その頃、その年齢の少年がする、大抵の悪さはしたけど、

それを絶対家には持ち込めなかった。

親、特に母の期待を裏切る事ができなかった。

 

怖かった、

 

と気付いたのはここ最近だけどね。

 

だから僕は当時、

 

親の前と外の顔色を完璧に使い分けてたんだけど、 

分裂しそうになる自分の心を、

楽器を弾いたり、歌を歌う事でなんとか保ててた。

 

 

 

僕らは大人になっても、

幼い頃の「自分」が残っていて(インナーチャイルド)、

母の言いなりになっている部分があって、

 

それが僕らのあらゆる行動を制限したり、躊躇させたり、

罪悪感を覚えさせたりしている。

 

母が悪いってわけじゃなく、 

母もそういう風に育ったんだし、

そういう時代だってってだけなんだけど、

 

僕らは幼い頃、

「いい子」でいたから、

大人になっても、

ずっと誰かの顔色を伺ってたりするんだよね。

 

 

例えば何か「やりたい」事がある。 

でもそれをするには、

いろんなハードルがあるとする。

 

例えば、

 

お金、

 

時間、

 

人の目。

 

家族。

 

これって全部さ、

子供の頃に養われ、

しっぽりと刷り込まれた価値観なんだよ。

 

本当は僕らの魂は、

 

「やりたい」があったら、即、「やる」なんだよね。

 

子供の頃、そうだったはず。

 

それがだんだんと、

 

「すぐやってはいけない」になってしまうんだよね。

 

なんで?

 

「いい子」だからさ。

 

「やりたい」をすぐ「やる」子は、

 

それが親のためになってればいいけど、

 

そうじゃない場合(大抵そうだ)、

 

「悪い子」として、

 

何らかの圧力がかけられるからね。

 

そりゃできなくなるわな。

 

 

大人になって 僕らは自由になったはずなのに、

 

いつも自由を躊躇させる。

 

自由である事を、潜在的に恐れている。

 

親の制限という庇護がある事に、

安心や安堵感を持ってしまっているからだ。

 

 

つまり、さっきのハードル。

 

お金も時間も仕事も全部ダミーなんだよね。

 

この原点は「いい子」である事。いい子でいようとするから、

 

やりたい事ができない、ありのままで自分で振る舞えないんだ。

 

 

子供は無条件に親を愛するから。 

親が傷つく事はしたくないっていう、愛の現れ。

 行動の起点は「愛」だって事は忘れずにね。

 

 

でも、

もう終わりにしようじゃないか。

もう、

僕らは大人になったんだ。 

僕らは自由になったんだ。

自分の足で、

この世界に立っているんだ。

いい子なんて、やめてしまえ。

今日から僕と一緒に、

悪い子になろうか(笑)。

 

次回は、

 

悪い子のススメです。

 

 

満月に手放すグループmei-sou 詳細は こちら⇩

loose-meisou.hatenablog.com

 

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mei-souとは。

物質(肉体)レベルで自分の存在をただ「感じる」こと。

ただ意識で「感じる」だけで、我々の肉体は「ゆるみ」ます。

肉体がゆるむことで、目に見えない自分=精神・意識の解放に繋がります。

本来我々は、常に身は軽く、心は明るいものです。それはエネルギーの循環なのですが、時間や忙しなさに追われる都市生活の中で、循環を失くしてしまいがちです。

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山歩き瞑想 感想|FREEDOM

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mei-souコンサルタント 大島ケンスケ