遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

人は見たいように人を見る。

 

人は、人を「見たいように見る」。
 
いろんな「能力者」や
 
不思議なことをする、知ってる人たちに、
 
僕はけっこう多く会ってきた方だと思う。 
 

そいでね、
 
僕に出会って、
 

「クリアなエネルギーですね」
 
「チャクラが開いてますね」
 
「体の芯がありますね」

 
と、光栄にも言っていただける、
 
その道の「プロ」の人がけっこういます。
 
 
でも、
 
僕と会って、 
 
「体ができてないですね」
 
「チャクラが閉じてますね」
 
「大きな傷が浄化できてませんね」
 
と言う、その道の「プロ」もちょいちょいいます。
 

どちらも、経験豊富で、それで生計を立てている人たちなんだけど、
 
正反対のことを言う。
 
さて、
 
本当の僕はどっちだろうね?(笑)
   

こういう「感覚」の世界ってさ、
 
勝った負けたとか、数値がどうとか、
 
そういうのがない世界。
 
だから、正解なんてないんだよね。
 
どっちも本当の僕であり、
 
どっちも本当の僕ではない。
 
本当の僕がどんな僕かは、
 
僕が決めることだから、
 
実は人の意見なんて関係ないんだよね。
 
参考にはなるけどさ。  
 

ようするにさ、
 
人は「見たいように人を見る」ってことだね。
 
エネルギー云々、スピリチュアル云々とか言っても、
 
やはり「自我(エゴ)」は介在する。
 
どんな「チャネリング」してようともね。
 
その人の「自我の印象」で、
 
「ジャッジしているだけじゃん?」
 
と、思うのだ。
 

 
 
もちろん、
 
さらに深い視点で見ると、
 
僕自身が、その相手を、
 
「この人は、僕を良く思ってない」
 
と、僕の自我がジャッジしたから、
 
その人はそういうことを言ったのかもしれないけどね(笑)
 
こりゃますます答えなどわからん世界だw


だからなおさら、
 
自分の在り方は、自分で掴むのだよね。
 
 
今日も世界は美しい。

 

 

Facebook投稿より。

 

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昨日は地区の小学校対抗の「ドッジボール大会」でした。

 

こうして、お父さんとして息子の学校行事にもちょいちょい出るのだ。