「なんにもしない」人たち。
外国に来るとよく思うことがある。
ちょっと写真はないんだけどさ、
外国で街の中を観ていると、
「なんにもしてない人」
を、ちょいちょい見かける。
ただ、座ってるだけの人。
ただ、立っているだけの人。
ほんとに
ぱっと見、
何をしているかわからないんだ。
ひょっとしたら、
たまたま僕が見かけた時が、
なにもしないでボーとしてたのかもしれないけど、
本当に
「何をしている人かわからない」
って感じなんだ。
日本にいるとね、
特に人の多いところで、
周りの人をざっと見渡すと、
「働いている人」
「喋ってる人」
「どこかに向かって歩いてる(移動している)人」
「スマホ観てる人」
「本(新聞、雑誌も含む)を読んでる人」
日本人って、
いつも、
「なにかしている」
って感じなんだよね。
僕もそうだ。
基本的に、
何か、している。
瞑想は、
「なんにもしない、を、する」
時間だけど、
やはり「瞑想している」って感じだ。
でも、
アジアの国々を巡るとよく思う。
「何もしてない人」が多いなって。
昼間暑いから、
休憩しているのはわかる。
でも、それにしても、
いい大人が、
ほんとにいたるところで、
ただ、座っているのだ。
それが「良い」とか「悪い」って話をしてるわけじゃないよ?
ただね、
きっとここに、
自分の「在り方」ってやつに、
大きなヒントがあるような気がするんだよね。
僕らはいつも、
何かしている。
時間や、お金に追われながら、
ある決まった「枠」の中で、
「自由」を手にすることで、
「豊かさ」を感じたりする。
でも、
本当の自由って、なんだろうね?
僕は、ずっと「自由」を求めている。
本当の自由ってなんだろうって、
ずっとずっと、考えてきた。
今こうして、
日本中、世界中を自由に飛び回り、
時間にも、経済的にも、
かなり自由になっている。
でも、
アジアの、
「なにもしてない人々」をみかけると、
とても不思議な気持ちになるのだ。
僕らは、
「なにかする」
ことに、
自己価値を満たしてきたし、
「人はなにかしないとならない」
って教えられてきたしね。
しかし、
その価値観は、
もう崩れ始めている。
僕らが、ただ僕らで在り続けるその本当の意味。
気づいている人が増えてきた。
もちろん、
僕のこの感覚に、
答えはない。
ただ、そう感じてるだけ。
でも
この感覚の中に、
僕の心がもっと自由になる、
たくさんの鍵があるのだ。
きっと、
これを読むあなたの心の扉にも、
この文章の中に、
鍵が隠されてるかもね。
愛の世界。
でも、
自由や豊かさを感じるためには、
不自由や貧しさが必要だったんだ。
光を知るために、
闇を知る必要があった。
その両方を感じて、
統合が起きる。
一つになる。
ワンネスってのは、
「究極に分離」した状態を知ってから起こる、
と、僕は思ってる。
この世界は、
無数の粒子だとするなら、
すべてが分離した存在。
人1人も、
「私」と「あなた」は、
確実に違う。
完全に、違う。
そこを、肚の底まで理解した時、
相手と一つにとけあえるのだ。
世界が一つになるのだ。
日本と、外国。
日本人と、外国人。
いろんな「違い」を目の当たりにしながら、
人はいろんな意識を統合していく。
だから、
旅は大きく人を成長させるんだね。
今日も世界は美しい。
異国の風と共に、
統合のエネルギーが届きますように。