人は人を幸せにできない。
出会う人すべてを幸せにしたい。そう思います。
でも究極の事実として、
僕は誰も幸せにできないんです。
僕は誰の心も理解できないんです。
だから僕は誰にも寄り添えないんです。
(そもそも寄り添うってなんでしょう?共感することですか?)
僕は誰も救えないんです。
僕は誰の悩みも解決できないのです。
あなたを幸せにできるのは、あなた自身であり、
あなたを救えるのは、あなた自身であり、
あなたを理解するのは、あなた自身である。
ならば僕はいったい、何のために存在しているのだろうと、
時に無力感に囚われます。
それでもただ、自分の言葉で、自分の気持ちを綴るだけです。
自分の声で、自分の歌を、歌うだけです。
それは一方通行かもしれません。
期待に応えれないかもしれません。
しかし、
僕は表現することをやめられないのです。
今もこうして、ただただ今の気持ちを綴るのです。
そこに理由はありません。
僕が、僕自身を表現するということは、
僕が、僕自身を生きるということだから、
なんの動機も、目論見もないのです。
ただ、生きる。
それが、表現をする、ということなのかもしれません。
裏を返せば、表現に、特別なものはないのです。人が一人、生きていること自体が、芸術なのです。
もしこの身勝手な想いを綴り、無作法な生き方をさらすことで、それが、誰かの「ヒント」や「気づき」になるのなら、
また、誰かの「笑顔」や「喜び」に貢献できるのなら、
僕にとっては大きな喜びになります。
そこで初めて「つながり」を感じれるから、なのかもしれませんね。
な〜んて、ちょっと思索が深くなる夜もあります。
今日も世界は美しい。
SNS投稿より。
これに追記をするのなら、
人は結局、人を「恒久的な幸せ」になどできないのだから、
そこは自分自身の中で折り合いをつけ、
自分自身を幸せにすることを第一義とするのが良いのかもしれない。
そして、
幸せになり、幸せな生き方をしていれば、
その立ち振る舞いや言動が、
身の回りの人に、結果として、
幸せへと繋がるきっかけになりうる、
ということかもしれませんね。