瞑想って、不快な時もあるよ。
瞑想は気持ちいい。心地良い。
リラックスできる。リフレッシュできる。
そう、確かにそうだ。
それを目的で始めるのはとてもいいと思う。
しかし、
ガチンコで毎日やってると、
実は「気持ちいい」だけではないとわかる。
ここ数日、瞑想をすると体のあちこちに、
「不快感」
があらわになる。
言葉に表せない。不快感としか呼びようのない感覚に、
のたうちまわりたくなる。
当然、そんな時の瞑想は、
長く感じる。
30分が、何時間にも感じられる。
早くタイマーならないかなぁと、
自我がその不快感から逃げたくなる。
しかし、
その「体感覚」こそが、
心の「現れ」でもある。
「カルマ」と呼ぶ人もいる。
これを感じ切るのはなかなかしんどいが、
今までの経験上、
これを感じ切ると確実に「抜ける」。
何かが変わる。
理由はわからない。
ただ、何かが解放されるのだ。
それで自分の何かが拡がるのだ。
となると、
この不快感もギフトであり、
愛しい自分自身なのだよ。
現実と同じかもね。
すべては自分自身なのだ。
ただ、瞑想により、
こうして滞りを浄化させることで、
現実面もスムーズに動き出す。
体の感覚。
快も不快も大切にしてね。
すべては愛しい自分自身。
今日も世界は美しい。
スタバにて。
今日も暑いね。