遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

苦しい時。

 

苦しい時、辛い時、

 

誰かに頼りたくなるよね。

 

それは「友達に話して楽になる」

 

とかそういうことじゃなくて、

 

明確な「答え」が欲しくなる。

  

「〇〇すれば解決します」

 

という回答が。

 

そこで「安心」や「保証」を求めてしまう。

 

しかし、

 

仮に「〇〇すればいいよ」と、誰かに言われても、

 

案外それを「自分の事」として落とし込むって難しい。

 

結局は、自分で答えを見つけ、行動しない限り変化はない。

 

だから、

 

自分で解決できるための「自分作り」が大事だよと、

 

自分て考えて、自分で決定して、自分の手足を使うんだよと、

 

伝えてます。

 

瞑想も、その一つ。

 

 

 

僕の言う事は、ちょっと厳しいんだろうと思う。

 

もっと明確に「〇〇が答えだよ」と言った方がわかりやすい。

 

しかし、僕に限らず、誰かの言う「〇〇」で上手く行ってしまうと、

 

その人は往々にして、困るたびに「誰かに答えを求める人」になりがち。

 

依存、は、一時的には仕方ないのかもしれないけど(幼子には親が必要だ)、

 

やはり「自立」を促し続けたいとは思う。

 

 

 

ずっと考えてきたし、

 

今も、いつも考えている。

 

人は、

 

「どうすれば幸せになれるのか?」

 

 

人は苦しむ。

 

些細な事でも傷つく。痛みを感じる。

  

それをどんなスピリチュアルな言葉で、

 

達観したお言葉で、

 

美しい言葉で並べ立てても、

 

目の前の苦しみはなくならないし、

 

一時しのぎの方法論では、根本解決にならないし。

 

 

だから、

 

まずは「ただ、感じる」事だよね。

 

すべて、受け入れてみる。

 

その苦しさに、委ねてみる。

 

力を抜いてみる。

 

そこから、始めよう。

 

すると自然に、見えてくるものがある。

 

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今日も世界は美しい。