すべてが最善だよ。
あのね、「幸せ」ってさ、
何が起きても幸せ。
すべてが最善。
って「ハラに落ちる」ことだよ。
自分に「都合の良い」こと、
「思った通りになる」こと、
「願いが叶う」こと。
もちろん楽しいし嬉しいけど、
「幸せ」という本質とはちょっと違うんだよ。
スピリチュアルを学んで、
エネルギーを理解して、
なんらかの能力を身につければ、幸せになる、
って事じゃないんだよ。
スピリチュアル勉強してる人には夢を壊すようでごめんだけどさ。
じゃあさ、
スピリチュアルを極めた、
例えばブッタやイエス。
なぜ艱難辛苦にあった?
ブッタは迫害を受けたり、罪を着させられた?
イエスは拷問され十字架に釘付けされた?
彼らは、スピリチュアルを知り、
「思い通りの人生」を歩んだのか?
それを引き寄せたのか?潜在意識で望んだのか?
別に「苦労が大事」とか「努力」や「忍耐」、
まして「忍耐」とほざくつもりはないよ。
ただ、スピリチュアルと自己の幸せの関係について、
考えてほしいなって思ったのさ。
迫害を受けても最善と思えた。
手足に釘を打たれても幸せだった。
そこを一旦受け入れること。
大きな力には、大きな責任が伴う。
あ、今は2千年前ほど「荒っぽく」はないから、
磔にはされないさ。
ただ、「幸せ」って、
自我の「思い通り」ってことじゃなくて、
あらゆる感情を踏まえて、ふくめて、
「最善だ」と感じれる人だよ。
今夜は満月。
満月の日に、八ヶ岳へ登ったんだなぁ。