「大人のスピリチュアル」。それは「自由になる」ということ。
僕はギターを弾きます。
(kensuke bar 銀座)
歌を歌います。
(ドラゴンナイト 名古屋)
ピアノも、弾けるっちゃぁ弾けます。
(龍と繋がるトークライブ 渋谷)
まったく聞いたことのない音楽が流れていて、
ギターがあれば、そこにアドリブでフレーズを弾いて乗せれます。
歌も、即興のスキャットできます。
なんでか?
それは僕が音楽を知ってるから。
つまり「技術(スキル)」があるからです。
歌なら「感覚的」にやれる人は多いですが、
楽器となると、
ある程度「音楽理論(コード・スケール・リズム)」というのを知らないと、
アドリブ演奏はできないし、
自由に「作曲」をすることもできません。
(歌のメロディーだけなら、感覚的にやれなくはない)
つまり、
アドリブ演奏ができるということは、
僕はギターという楽器に対して、
「自由だ」ということになる。
(セドナにて)
自由だから、遊べるんです。
つまり、
自由って楽しいんです。
でも、
当然、最初からできたわけではないです。
それは「練習」したらから、
できるようになっただけ。
(生まれ時は何もできない。それが、立ち上がり、言葉を覚える)
なんでもそうでしょ?
水泳や、自転車や、字を書くことだって、
初めからできる人はいないんです。
練習中。
「できない状態」から「できる状態」への移行期間は、
あたりまえだけど不自由です。
思ったようにできない。
やりたいようにできない。
というジレンマが常に付きまといます。
こんな僕だって、完全にイメージ通り演奏できないので、
ジレンマを感じる時もあり、
より高い自由度を求めれば求めるほど、
現状の「不自由さ」に気づきます。
がんばらないで、うまく行く。
努力しないで、うまくいく。
誰でも簡単に、稼げちゃう。
ワクワクしてれば、幸せになる。
これらのメッセージが、
そのままキャッチコピーになり、
発信者はそれを広告に人を集めます。
みんな「楽」をしたいから、
それらのキャッチコピーは魅力的です。
しかし、その発信者の人生をちょっと垣間見ればわかると思うけど、
ぜんぜん楽ちんに、その地位に行ったわけじゃないんだよね。
だからそれらのセミナーに行って、
「楽チン」しながら、
その講師やメッセンジャーのようになれる人なんて、
ほとんどいない。少なくとも、一時的にお金を稼いで人は知ってるけど、
それで続いている人を僕は知らない。
(あまりカンケーない画像です 笑)
楽器と同じでさ、
自由になるためには、不自由という状況を通り抜ける。
ってことなんだよ。
お金から自由になりたいなら、
お金の不自由を知る。
時間から自由になりたいなら・・・
人間関係から自由になりたいなら・・・
ぜんぶ一緒だよ。
僕がこうして発信していることって、
「ワクワクしればうまくいくよ!!」
「楽しい気持ちだけで幸せになるよ!!」
「やりたいことだけやればうまくいくよ!」
的な、この業界の有名ブロガーさんたちの言うことと比べると、
非常に地味です(笑)
だから、キャピキャピした女子的ノリのスピリチュアル好きの人には、
僕もブログとか、
「つまんね〜」
って思われるでしょうね。
みんな「楽」して、人生を自我の欲求通りにしたいだろうから。
だから、僕ってこの業界で「爆発的な人気は出ない」だろうと、
自分自身を分析してます。
ちょっと余談だけどさ、僕のLINE@の読者さんが、
「心屋仁之助」さんのポッドキャストに、
「大島ケンスケさんをゲストに呼んでほしい!」
って「リクエスト投稿」してくれたんだけど
(相談コーナーになぜかそれが読まれたってのが不思議やね)、
まずないだろうなぁ〜(笑)
って思ってます。
もっと派手でわかりやすい人の方がネタになるんじゃないかな。
(でも、リクエストありがとうね。とってもとっても嬉しいです)
でも、それでいいと思ってます。
前も書いたけど、
僕は「〇〇すれば、〇〇になれる!」
というわかりやすい「断言」や「言い切り」をあまりしないから。
そもそも「瞑想」という、
繊細な「感覚」が、僕の芯にあるからさ、
どうしてもちょっと曖昧になりがちなんだよね。
それでも、
毎日僕のブログやメッセージを読んでくれる人がいるって、
とても嬉しいことです。
たぶんね、
僕のファンの人ってさ、
スピリチュアル好きの中でも、
「大人」な人が多いと思う。
(佐川奈津子さん)
(本郷綜海さん。「kensuke bar」はそんな大人のイベントだと思ってます。次はいつやろうかな)
ちゃんと道理を知ってるというか、
子供騙しはされない、
社会人として、人生経験もある、地に足ついた人。
僕自身、
めっちゃ「おふざけ」も多いけど、
僕のメッセージやエネルギーは、
「大人なスピリチュアル」だと思っている。
前に、ミキティ先生にもそう言われた。
(ミキティさんも、かなり大人なスピリチュアルです)
スピリチュアルを学ぶと、「子供みたいになればいい」
みたいなメッセージも聞きます。
幼い子供は自由だから。
そうだろうか?
子供は自由にふるまうけど、
実際は社会的、家庭的「枠組み」の中の小さな自由。
大人は枠が広い中で、不自由を感じている人が多いけど、
その中で子供のように「自由に振る舞え」ば、
自由度は子供もそれと比べ物にならないと思うのは僕だけだろうか?
ちなみに「枠」って必ずあります。
人間である以上、酸素から自由になれない。
重力から自由になれない。
日本に住む以上、国から自由になれない。
でも、今いる枠の中で、いかに「自由を感じるか」なんだよね。
そして「自由な振る舞い」のためには、
楽器と同じように、コツを掴むために、
積み重ねが必要なんだよ。
ちなみに「努力」や「がんばり」ってさ、
「好きなこと」「やりたいこと」だったら、
そんなに苦じゃないよ。
だって、それが「できるようになったら」を考えてごらんよ?
その練習をすれば、自由になれるってわかっていれば、
夢中でこなせるよ。
大人のスピリチュアリティ。
少しずつ、浸透している気がするなぁ。
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9月10日 京都のお寺にて。朝の瞑想会で、自分とつながろう!
自分と繋がる瞑想会 in 京都 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。
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