遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

地球のルール。宇宙のルール。

 

僕って実は、

 

スピリチュアルのジャンルの中でも、

 

「宇宙人系」

 

って、あまり好きじゃないんですよね(笑)

 

いや、「宇宙人」っても、

 

実際は「その人」によりけりで、

 

ほんまもんの宇宙人体質で、なおかつ、

 

「地球のルール」を知り、

 

地球人として、世界を楽しみ、豊かさを受け取ってる人は大好きなんですけど、

 

現実に上手くいかないこと、

 

思い通りにならないことがあると、

 

「私、宇宙人だからいんです〜」

 

とか意味不明な言い訳する人が苦手です!

(たまにいるんですよね・・・) 

 

まるで「心〇」を知ってる方が、

 

「私、後者だからできないんです〜」

 

と、やらない、もしくは「ただの見落とし」や「ミス」に、

 

言い訳するのと似てますね。

 

(あれ?今日の俺ってなんか辛口かも 笑)

 

確かに、

 

現在「スピリチュアル」な活動をしている方、

 

スピリチュアルが大好きで興味ある方って、

 

宇宙ルールの記憶が濃いです。

 

最近の子供たちはかなりそれが濃厚。

loose-meisou.hatenablog.com

 

最近、すごく自分が「宇宙人的」なんだなと思ったこととして、

 

「死」

 

に関してです。

 

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死は、悲しいことで、

 

避けるべきことで、辛いことで、

 

忌むべきこと。

 

やはり、この感覚って、

 

常識ですし、

 

スピリチュアルを学んでも、

 

なかなか抜けないんですよね。

 

だって「地球人のルール」だから。

 

でも、

 

宇宙ルール。

 

つまり、天上においては、

 

死は祝福であり、

 

「おかえり〜」 

 

祝賀会が開かれるくらいのことであり、

 

ゲームクリアなんです。

 

 

宇宙ルールのままで、例えば葬式とか行くと、

 

まったく悲しくない。

 

のですが、

 

その状態では、地球ルールの人たちには、

 

「なんて不謹慎な!!」

 

「血も涙も無いやつだ!!」

 

ってことになってしまいます。

 

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もちろん、

 

僕も家族が突然死んだら、僕の「自我」としては、

 

最大級に辛いだろうけど、

 

「死」そのものには、

 

悲しいとかはないつもりです。

 

(生物的な恐怖はありますよ)

 

まず僕の場合、

 

これまで幸いなことに(笑)

 

中学生の頃から、

 

なんども母親が「今夜がヤマだ」

 

状態だったことで、

 

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慣れてしまったこと。

 

その時期に、祖父母を立て続けに無くし、

 

死に関してよくよく考えたし、

 

仲よかった後輩が事故死したり、

 

決定的だったのは、

 

親友と呼べるくらい仲間が、

 

自殺したことです。

 

だから若い頃から、

 

「死」って身近にあり、

 

当然、「死」についてかなりの時間を割いて、

 

頭が擦り切れるほど考えてきました。

 

そして、 

 

自分も病気で死ぬような体験をし、

 

不思議な世界に足をつっこみ、

 

宇宙の原理を垣間見た経緯から、

 

地球人として積み上げてきたルールや常識が、

 

ちょっとずつちょっとずつ、壊れて行ったんです。

 

だから僕は親戚や、知人の病気(重病)や死に関して、

 

嫁さんから見たら、

 

ものすごく「冷たい人」と思われます。

 

今まで、そう言うことがあるたび、

 

何度もそれで意見の食い違いがありました。

 

「寄り添ってくれない」

 

「理解してくれない」

 

と、その度に言われてきました。

 

小さな子供が不慮の事故死とか、

 

そういうのならまだ悲しみに共感できますが、

 

ある程度年齢重ね、気力を無くし、病気になり、死んで行く。

 

そこに悲しみを見出せないのです。

 

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実はつい数ヶ月前も、 

 

ネパールにリトリート中に、

 

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父から、

 

「母危篤」のメールが入りました。

 

一刻を争う状態だから、覚悟しておけ。すぐ帰れるようにしとけと。

 

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普通は、

 

こういう時は、

 

仕事よりも、家族、

 

かもしれないけど、

  

僕はきっぱりと

 

「海外で大事な仕事だから、〇日まで帰れない」

 

と、はっきりと返信しました。

 

もう「父と決別」する覚悟でね。

 

多少は動揺したけど、今は「旅を楽しむ」ことが最優先。

 

メンバーにも、いらん心配はさせたくないし。 

 

で、

 

母に関しては正直、

 

「これで楽になればいいな」

 

としか思えません。

 

20年以上、治る見込みのない難病で、今ではもう、意識も朦朧としてます。

 

ちなみに、

 

過去にもそんなことは何回もあったので、

 

覚悟なんんてとっくにしてます。

 

 

兄が死んだ時も、

 

いわゆる「悲しみ」って感情は皆無だった。

 

僕自身、

 

「ひょっとして俺は、人としてどこか欠落しているのだろうか?」

 

と、疑りたくなる時もあります。

 

みんなが悲しい時に、

 

まったく悲しくない。 

 

何度も自分が冷血漢なのかと思い、自分を責めました。

 

しかし、

 

どうやらこれは、

 

「ルール」の違いなんだろうと、

 

最近は思うようにしています。

 

「死」に関してだけじゃなく、

 

家族や友人との付き合いで、

 

向こうは「当たり前」のように言うけど、

 

僕にはまったくもって「共感」できない部分

 

それこそ「寄り添えない」部分がたくさんあって、

 

ここ最近、それがどんどん顕著になってるような気がする。

 

自分らしく生きれば生きるほど、

 

常識的な感覚から逸脱していく。

 

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もしあなたが、

 

どうしても身近な人に共感できなかったり、

 

一般的な感情をシェアできなかったり、

 

みんなと同じような気持ちを抱けなくて苦しい時があったら、

 

「あ、ルールが違うんだ」

 

と思ってもいいかもね。

 

(ただし、冒頭に述べたように、言い訳にはしないように!)

 

その上で、大切な人なら「わかろうとする歩み寄り」は必要。 

 

もちろん、

 

たぶんわからないと思う(笑)

 

ルールが違うから。

 

それでも、

 

「大切に思っている」

 

ということは伝わるんじゃないかな、

 

と思います。

 

でも、

 

ここで大切なのは「違いを知る」ということ。

 

僕らは「違う」。

 

だから、面白い。

 

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(こやつは「猫ルール」で生きてます・・・)

 

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9月10日 京都のお寺にて。

自分と繋がる瞑想会 in 京都 - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

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