心が苦しい時。
心。
目に見えないけど、確かにある。
だから、
喜んだり、
幸せを感じたりする。
でも、
自分の望みが叶わなかったり、
理解されなかったりすると、
その心の働きで、
辛くなったり、
苦しくなったりする。
今日は、
心が疲れたり、苦しい人に向けて・・・
怒り、憎しみ、嫉妬心。
それはすべて「他者」という「外側」の現象から始まり、
自責、自己嫌悪、無力感という風に、
やがてベクトルが「内側」に向き、
結果として苦しくなる。
そこには、
「欠乏感」
がある。
どうしても人は「比較」してしまう。
「〇〇さんはできるのに、わたしはできない」
「〇〇ちゃんは持ってるのに、私はもっていない」
この「ない」による、
「欠乏感」
これはとても苦しいもの。
やがて「分離感」も生まれ、
自分が「切り離された」ような感覚になる。
「今の自分ではダメ」と、
「今ここ」を生きれなくなり、
「自分以外の者へなりたがる」
という状態へ入る。
これを解消するために、
あの手この手で「自己啓発」や「スピリチュアル」のメッセージが、
これでもかってくらい氾濫している(笑)
まあ、僕もその一人でもあるわけだが、
実は「〜すれば楽になるよ」
「〜っていう風に見方をかえるといいよ」
といいつつ、
実は、
。。。
・・・
・・・
それでもいいんじゃね?
って、ざっくり思っている自分もいます(笑)
これは僕が生粋の「アーティスト気質」だからかもしれない。
でも、
人は皆「表現者」だと思ってる。
つまり「アーティスト」だ。
生きるとは、自分を表現すること。
生きるとは、それだけで芸術だ。
小説家の「村上龍」がエッセイで書いてて、
若い頃に読んで非常に感銘を受けたんだけど、
(村上龍の作品はほとんど読んでるってくらい好きでした)
「自分に欠けている部分を埋めようとする行為が芸術であり、その能力が才能なのだ」
みたいなことを書いていた。
そう、
僕らはみんな、
完璧な人間ではない。
(何が完璧かとう定義の話は今はおいといて)
みな、何らかの「欠乏感」つまり、自身に「欠けている」と思う部分を持っている。
もちろん「スピ」的には、
それは「幻想」であり、すべては「最善」で「完璧」なんだけど、
僕らの自我は、いつも自分の「足りない」部分を見つけては、
そこをどうにかして埋めれないかを考える。
これは、場合によっては、
つまり、欠けてる部分の大きさによっては、
非常に苦しい作業になるのだが、
確かにそれは「才能」に繋がる。
20世紀までの「偉大なアーティスト」ってみんな、
不遇の境遇を背負っていたり、
人格的にかなりやらかしてちゃってる人も多い。
つまり、その欠陥部分を埋める行為が、
そのまま作品となったのだ。
時代は変わり、
そこまで「極端」なものや「突飛」な人、、
「圧倒的」なカリスマ性は必要なくなったけど、
やはりアーティストって、
人間的に、常識的に、ということだけど、
ちょっと「足りない」部分が多いような気がする。
でも、それを埋めるために、
四苦八苦した結果として、
芸術と呼ばれる技や魅力を身につけたって人は多い。
ただ「なんとなく〜」だけで、人の心を打つような作品を表現した人って、
あまりいないと思うよ。
僕自身の話をしよう。
僕は歌うたいです。
作詞・作曲・編曲もできて、
楽器も数種類それなりに扱えて、音楽制作が出来ます。
アーティストです。
でも、僕のアーティスト活動の原点は、
「モテたい!」
と思って、ギターを始めたこと。
つまり「モテない」という欠乏感があったんよね(笑)
中学一年生の頃です。
あと「目立ちたい!カッコつけたい!」もあったよ(笑)
そこから、中2の頃、家庭環境が突然悪化し、
本当に辛く辛くて、八方塞がりだった時、
「思い切り歌を歌っている時だけ、辛いことを忘れられる」
という理由で、
僕は歌いまくった。ギターやピアノをかき鳴らしまくり、
自然と歌も楽器も上達したって感じ。
その後は、すぐに僕は「プロ」を目指した。
その理由も、
「こんな貧乏はいやだ!金持ちになってやる!そのためにはサラリーマンなんてやってられっか!!ミリオンヒット取って、一攫千金だ!」
みたいな気持ちはすごく持ってた。
その中で「もっと上手くならねば!」と思った。
純粋に「上手にこなせる喜び」もあったけど、
一番の理由は、
「今の自分ではダメだから」
と思ってたから。
「もっといい曲を作りたい」
「もっといろんな音色で作りたい」
も、純粋な喜びや願いは2、3割で、
気持ちの根底には「今の自分がダメ」ってのがあった。
「それができるようにならないとダメだ!」
という危機感と焦燥感は常にあった。
だから、ずっとずっと、
その「欠陥」を埋めるために、
腕を磨き続けてたってわけだ。
つまり、
僕の音楽への動機は、
かなり「マイナス思考」だった。
そこは自分でもすごく自覚している。
でも、
それが途中から「純粋な喜びに変わった」のだ。
だから今、こうしてスピリチュアルと共に、
ドラゴンボイスに目覚め、歌を歌い続けている。
今、僕が歌ったり、歌を作ったり、こうしてブログを書いたりするのは、
「欠乏感」を満たすためではなく、
欠乏したまんまの自分をさらけ出すことを楽しんでいるのだ。
となると、
上記の、
「今がダメでもいい」
つまり、
「欠乏感」があってもオッケー。
ということなのだ。
もちろん、欠乏感で苦しむことはあるけど、
僕はその欠乏感と無力感、
そしてその「危機感」によって、
自分を「叩き上げた」と思ってる。
自分の中に、
叩き上げた「鋼鉄」の部分があるのだ。
これは、人からもらったものではないから、
ちょっとやそっとでは壊れたりブレたりしない。
だから、
何が言いたいのかって言うと、
今が苦しくてもさ、
必ず大丈夫だってこと。
信じてほしい。
「ない」を見つける天才の僕が言うんだから(笑)
その欠乏感も、危機感も、
むしろあなたを大きく飛躍させるためのギフトだ。
普段はね、
幸せになるために、
「ある」に意識をフォーカスしよう
って、
僕もよくそんなメッセージ書くけど、
どうしても、
人と比べることをやめられず、
「ない」ばかりを見つけて、
それで心が苦しんでても、
それは必ず大きな財産になる。
その布石があってこそ、
大きな大きな喜びになる。
ギャップが大きいほど、
振り幅がでかいほど、
放たれるエネルギーも大きいからね。
大丈夫。
信じてね。
やけくそになって、
全部投げ出したくなることがあるだろうけど、
大丈夫。戻ってこれる。
そんなあなたを愛してます。
苦しむあなたを受け入れます。
そんなあなたの人生を祝福します。
今日も世界は美しい。
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