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冒険者と批判者

登山家の「栗城史多」さんが、

 

昨日、7400メートル付近からの下山中に、

 

生き絶えてるのを確認された。

 

本田こーちゃんが親しいから、

 

その存在は知ってて、

 

そのうち、一度お会いしてみたいと思う1人だった。

 

僕は約5年前に八ヶ岳山麓に移住し、

 

そこから「登山」の面白さを知り、

 

近場の山を登りまくった。

 

3000メートル級の、日本を代表する山々に囲まれた土地。

 

僕は夢中で登った。

 

山頂で瞑想するのが、一種の趣味でもあった。

 

栗城さんを応援してた。

 

ただ、

 

Facebookとかネットの反応を見ると、

 

驚いたことがある。

 

それが「批判コメント」の多さだった。

 

「無謀すぎる」

 

「山をなめている」 

 

と、おそらくは登山に詳しい人たちの批判。

 

これくらいはまだましで、

 

「あえて登頂できない難しい季節やルートを選んで、金儲けしてる」

 

とか、

 

「実は栗城は登ってない。GPSを切ってる。あれはやらせだ!」

 

とまで書き込む人も多数いた。

 

やらせって・・・

 

指を失っても登る人に、

 

命がげで挑む人に、

 

よくそこまで言えるものだと、

 

胸糞悪くなるので、

 

僕は栗城さんのFacebookは観なくなった。

 

もちろん、

 

僕にエベレストのような、8000メートルの世界はわかるよしない。

 

だから、何も言えない。 

 

この批判コメントの主が、 

 

自身もエベレストや、7000、8000メートルの過酷な世界を体験してるのなら、

 

栗城さんの登山方法に、何か意見があるのかもしれない。

 

でも往往にして、こういう批判コメント、

 

否定コメントをする輩は、

 

平和な日本でぬくぬく暮らし、

 

僕くらいに、ちょこっと趣味で山をやってる程度の人ではないのだろうか?

 

 

とにかく、

 

栗城さんは、

 

命がけで登り、

 

死んだ。

 

あの批判者たちは、

 

どう思うのだろう?

 

「やらせ」とかほざいてた批判者は、

 

実際、山で死んだ栗城さんのことを知って、

 

何を思うのだろう?

 

我関せず、か?

 

「無謀だって言ったのに」と、偉そうに言うのか?

 

 

栗城さんの訃報を知って、

 

真っ先僕は、悲しいとか、そういうことよりも、

 

批判者たちへの怒りだった。

 

 

栗城さんは、時々「八ヶ岳」で練習してたのも知ってる。

 

赤岳という、2899メートルの、八ヶ岳の主峰へ、

 

美濃戸口という登山道から、

 

朝から夕方まで4往復したと、何かに書いてあった。

 

しかも冬。 

 

毎年、冬には1人2人、命を落とす人もいるのだ。

 

僕もそのルートを知ってるので、

 

世界レベルの登山家が、いかにすごいのかを知った。 

 

僕は夏場でも、1往復でやっとだ。

 

 

なんか、

 

悔しい気持ち。

 

 

彼は、

 

大好きな山で死ねたのなら、それは幸せなことあ。

 

男なら、

 

やりたいことやってる最中に、

 

前のめりで死ぬって、

 

一番かっこいい死に方だと思う。

 

 

ご冥福を祈る。