遊ぶ、伝わる、ただ座る。

世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

mei-sou(瞑想)による「本質」とのつながりについて

 

mei-sou(瞑想)ってなんじゃらほい?

 

修行?

悟りを開く?

ボケ防止?ダイエット?

 

目的はなんでもいい。

しかし、そもそも目的なんかないんだよ。

 

僕らの通常の意識の「自我」、

それを支える潜在意識とかの、

さらに奥には「本質」があるって知ってる?

*魂、真我、ハイヤースピリット、根元意識。宇宙意識。

 言い方はなんでもいいが、とりあえず「本質」で統一するよ。

 

ちょっと信じられないけもしれないけど

実はその「本質」ってやつぁ、

 

実は、なんの目的もないし、

 

そもそもなんの意味もない。

 

すべてにおいて「中立」で、

すべてにおいて「フラット」で、

すべてにおいて「ニュートラル」だ。

 

人生に「意味」や「目的」をくっつけてあたふたしているのは、

他ならぬ自分自身。

 

 

とは言ってもだ、

日々の暮らしの中で、

当然僕らはフラットでいつづけたり、

気持ちをニュートラルに保つ事はほぼ不可能だ。

ポジティブだったり、ネガティブだったり、

いろんな感情が揺れ動きつづけ、

翻弄されてまくる。

 

それが悪いわけじゃないよ。

それが生活にメリハリをつけ、

感動を生み出す。

良いも悪いも、宇宙にジャッジ(判定)はない。

 

しかし、

度をすぎるとくたびれてしまう。

疲れてしまう

辛くなる。

 

でしょ?

 

 

 

しかし!

 

僕らの「本質」はちっとも疲れてないし、

何も起きてないし、どこにも行ってない。

 

波一つない湖のような静けさを持っている。

 

もしもだよ?

僕らの意識がその「本質」により添えれば、

せめて「本質」に近い部分にいられるなら、

僕らの「自我」はとてもフラットな状態になるんじゃないの?

 

 

瞑想は「思考(考える)」から「感覚(感じる)」に意識をシフトする事だ。

思考は常に「記憶」と「予定(妄想を含む)」という、

過去と未来を行ったり来たりしてる。

 

それに対して「感覚」は常に「リアルタイム」だ。

つまり、最近流行りのワードである「今ここ」ってやつだ。

「感覚」は、時間の法則を超えてる。

感覚は過去にも未来にも存在できない。

 

それが、今ここ。

 

そしてこれは僕らの「本質」に重なる。

 

つまり、本質の持つ「静寂さ」を感じたいなら、

どこにも動くことなのない本質にアクセスしたいなら、

 

僕らは「今ここ」に意識を置き続ければいいって事だ。

 

ちなみに何かに夢中になっている時も、「今ここ」だ。

好きな事に夢中になっている時、本質へのアクセスは行われている。

 

しかし、それはなんらかの「活動」なんだよね。

「活動」の意識は、

「本質」が普遍的に持つ「静寂さ」にはなかなかアクセスできない傾向がある。

*もちろん、トップアスリートが経験する「ゾーン(精神的聖域)」という状態はいわゆるそれだけど。

 

そこで我々人間ってやつは、

「瞑想」っていう必殺技を古来より駆使し、本質へのアクセスを果たしてきた。

f:id:meisoutoyama:20160524145238j:plain

山歩きmei-souのコース。滝の前で瞑想中

 

宗教ってやつの存在が、瞑想を個人意識から「対神様」という、

二元的なものに変えてしまった。

日本でも過去に某新興宗教が「こっそりLSD」を盛って、

信者に瞑想させ、洗脳ツールに使ったりした事もある。

 

だけど瞑想と宗教は、

本来関係ナッシング!

 

禅とかも、結果として仏教が扱うジャンルになってしまったけど、

宗教と瞑想は、

まったく関係ナッシング!

 

 

全部内側なんだよ。

お寺も十字架も必要なくて、

そこにアクセスするための「代理団体」なんかいらなくて、

僕らの内側にある「本質」が、

すべての答えなんだ。

 

だから欧米で流行っている「マインドフルネス瞑想」、

すごくいいと思う。

あれは集中力強化とかを目的にしているけど、

「宗教色、スピリチュアル色」を払拭している。

 

瞑想して、今ここに意識を置く。

本質は、いつもそこにある。

当たり前すぎて気づけないだけ。

 

でもあなたが内側に向き合う時、

今ここに意識を向ける時、

 

確実に「本質」へアクセスしている。

 

そして「本質」は確実にそれを知っている。

 

ゆるぎない安心感を、

全宇宙のパワーに匹敵する愛で、

あなたに向けて届けている。

なんの意味もない。

なんの的もない。

ただただ、愛で届けている。

 

ちなみに初めから、上手くできるなんて期待せず、

気長にやってみてほしい。

時間をかける事を恐れないでね。

一人でやろうとしないでね。

わからない事はわかる人に聞けばいい。

僕もそうやってきた。

 

 

6月20日 残3名 

loose-meisou.hatenablog.com

 

 

 八ヶ岳mei-sou メニュー(金額、改正しました)

 

mei-sou(瞑想)とは。

物質(肉体)レベルで自分の存在をただ「感じる」こと。

ただ意識で「感じる」だけで、我々の肉体は「ゆるみ」ます。

肉体がゆるむことで、目に見えない自分=精神・意識の解放に繋がります。

自然の中に身を置くことで、普段閉ざされている感覚が開きます。

それが真のリラックスと、安らぎへと呼び水となり、心身が整います

ゆるみと解放により、インスピレーション(直感、第六感)が高まります。

 

こんな方に、mei-souをお届けします。

 

・今の自分を変えたい。

・色々学んだけど、行き詰まったり、いまいちピンと来ない。

・自分に自信がない。

・子育てやパートナーとの関係。

・漠然とした不安感。

・集中力、リセット力を高めたい。

・忙しい日々の中での休息方法を知りたい。

・本当の豊かさのため、心の安らぎとゆとりを得たい。 

 

 

mei-sou(約90分)

瞑想と個人セッションを通して、

あなたの本質からのメッセージに寄り添います。

 

18888円

 

 

mei-sou&自然散策(約4時間)

八ヶ岳山麓の大地のバワーを受けつつ、

個人セッションと瞑想を通して、

あなたの本質に向き合います。

 

38888円

ご希望で昼食、温泉。

 

 

山歩きmei-sou(朝から夕方までの1日コース)

自然の中に身を起き、瞑想状態を維持し続ける事により、

体の芯に溜まったカルマを手放し、

本質の自分からのメッセージを受け取れるよう、

全身全霊でサポートします。

 

98888円

 一ヶ月のメールサポート付き。

 昼食、温泉。

 

諏訪大社巡りコースもあります。応相談。

*全てに送迎つき。

 

東京、名古屋近郊、出張セッション受け付けています。

瞑想会なども応相談。

 

感想などはこちらから。

山歩き瞑想 感想|FREEDOM

瞑想だって、継続は力。|FREEDOM

春の山歩き瞑想セッション - 遊ぶ、伝わる、ただ座る。

 

 

申し込みフォームはこちらから

瞑想セッション 申し込み

 

 

 

ご質問、お問い合わせ。 

meisoutoyama@gmail.com

gmailで返信します。受け取れるように設定お願いします) 

(その他、心、体、生活へのご相談など、お気軽にどうぞ)

 

 

ご入金後の返金は受け付けておりません。ご了承ください。

雨天の場合は雨の森散策と室内ワーク中心に。

荒天の場合、「山歩き瞑想」は日にち変更する場合があります。

 

f:id:meisoutoyama:20160520141612j:plain

mei-souアーティスト 大島ケンスケ