自然の「循環」に生きる
僕はつい3年くらい前まで、東京で暮らしていた。
生まれは北海道の小樽市。
高校を卒業して、1年間地元でアルバイトして金をためて、
20歳で東京に行った。
15年間、東京で暮らした。
僕は昔、原因不明の「呼吸不全」と「うつ」で、
死ぬ思いをして、
そこから普通の生活に戻れるまで、
何年もかかった。
呼吸が楽なったと思ったら今度はアレルギー疾患が悪化して、
もう散々でした。
でもそうやって自分の体と、人生と真っ向から向き合って、
自分を理解していった。
元気を取り戻すために、
僕は実にいろんな事を実践したけど、
やっぱり「自然」に触れるってのは、
どうやら僕らの心身の健康においてとても重要だって事は確かだ。
なぜなら我々人間も、「自然」の一部だから、
自然を無視して生きて行く事はできない。
「アナスタシア」シリーズ。
読んだ人も多いと思う。
僕も今んのところ5巻までは読んだ。
僕は「アナスタシア」に書いてある「種まき」方法(口に含んで自分の情報を入れる)なんか散々やってきたし、
本にも出ている、雑草を取らず、自然の状態で作物を育てるという農法で米や野菜を栽培して、それを食べている。(自然農っていいます)
お金、人間関係、そして愛。
循環を意識し始めている人が増えた。
どうして「循環」なのか?
それはこの「自然」こそが、
「循環」だからだ。
宇宙=循環
このシステムで成り立っている。
自然に触れると、それをよくよく教えてくれる。
土に無数の植物が芽吹き、それぞれ共生しながら育ち、
あるものは淘汰され、あるものは強く、高く。
花を咲かせ、虫を集め、花粉を飛ばし、受粉させ、
実をつけ、種を落とす。役割を終えた植物はそこで枯れて、
土に返る。
土はそんな無数の命の亡骸の層で成り立っていて、
その上にまた、落ちた種が芽吹く。
その繰り返しの中には、
虫たちの共生があり、それを食す鳥たちがいたり、
土にはこの大銀河に匹敵するほどの微生物が活動している。
弱肉強食、ではない。
全体として、それで成り立っている。
捕食し合い、命をつなぎ合い、大地のサイクルを回し続ける。
これを「循環」 と言わずとして、なんと呼ぼうか。
僕のやっている「自然農」という農法は(耕さず、雑草や虫と共生させる)は、
まさしくその自然の循環の中で農をするというやり方だが、
非常にリスクの高い農法だ。
実際それで専業農家をやってる人は日本でも片手で数える程度だ。
しかし、
家庭菜園規模でなら、やっている人はたくさんいる。
つまり、
農協指導の慣行農法では必須」とされる、
「化学肥料」
「農薬」
「除草剤」
これからがなくても米も野菜も栽培できる、という事だ。
土の生物を殺してまで、科学的な養分で肥大した野菜を作らなくても、
微生物たちの働きで、土を肥やし、根に栄養を与えてくれる。
また「耕さない」というのも特徴で、
耕運機のような機械も使わず、
自然の循環を崩さずに、我々はただその土を「お借りして」、
思い思いの作物を育てる事ができる。
農業をやっている人には、
この農法は「絵空事」として、
批判されることもあるが、
現に、僕はやってるし、やってる人をたくさん知ってる。(今年から自然農の米は辞めましたが)。
例えばこのニンジン。
去年の秋に種を蒔き、
八ヶ岳の寒い寒い冬を土の中で過ごし、
春を迎えた、あまーいニンジン。
このサトイモ。
去年たっくさん採れて、
保存してあったんだけど、
芽がにょきにょき出てきたから、
これからこれを種芋にします。
土が循環を取り戻した環境。
その状態になると、これが可能になる。
化学物質に頼らず、
大型機器に頼らず、
作物は実る。
その辺の畑を、
いきなりこの農法でやろうとするのは無謀だ。
まずは土の微生物を復活させ、
虫たちを集め、多種多様な雑草が育つ環境にならないと難しい。
でも「無農薬」の「有機肥料」でも、
野菜は作れる。
一家が楽しく食ってく分くらいなら、
週末農業でそこそこいける。
ちなみに僕は、
「自給自足」が大切だ!」
とか、
「自然に還れ!」
とか、
そういう事を「正義面」して行っている連中はニガテだ。
あまり絡みたくはない。
当然僕もそんなこと思っていない。
それぞれの得意分野があるし、
土や自然に触れるのがあまり好きでないって人もいる。
楽しくない事やっても意味がない。
我々はあくまでもこの現実の生活の中で、
リアルの中で、
自分の「好き」を「楽しく」やればいいだけだ。
ただもしもその中で、
土に触れる、
自然に触れるという時間。
これは体の奥底にある、
「何か」を目覚めさせてくれるから、
こんな話を書いてしまう。
僕は都会を否定しない(昔は否定的でした)。
田舎暮らしは楽しい。
でも都会暮らしも楽しい。
僕も時々行くけど、とっても刺激的だ。
都会に住む人たちも、
たまに自然のある場所に行くといいと思う。
僕はそういう事を言いたいだけ。
剥き出しの、荒々しい自然のエネルギーに、
身をゆだねてみてほしい。そして感じてみてほしい。
言葉はいらない。感覚だけで、味わってほしい。
風が吹き抜ける感触。風に乗る様々な香り。
済んだ空気。森のざわめき。森の気配。
しかしぶっちゃけてしまうと、
その「エネルギー」は実はどこにでもある。
だがなかなか感じれないと思う。
だからまずは自然の循環を目にして、触れてみて、
感覚を開いてほしい。
僕はそれがわかるようになってから、
東京の人ごみも、汚れた空気も、
気にならなくなった。疲れなくなった。
どこにいても、自分のいる場所が即パワースポットとなった。
それが満員電車でも、ネットカフェの個室でも。
どこにいても、世界は清々しく、エネルギッシュなのだ。
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mei-sou 大島ケンスケ