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世界はシンプル。力を抜いて、本音で生きる

死に方について

 

実は最近、

 

知人が亡くなりました。

 

まあそれが悲しいとかそういう事ではなく、

 

自殺という最後だったから、

 

さすがに驚いた。

 

詳しくは書きませんが、

 

とても元気なおじいちゃん(70くらい)でした。

 

体も元気で、声も大きく、ハツラツとしていて、

 

ユーモアもあり、明るい人でした。

 

それが昨年11月、

 

脳梗塞で倒れ、一命は取り留めたものの、

 

かなり後遺症が残り、長いリハビリが必要になった。

 

ちなみにその方は八ヶ岳と東京の二重生活で、

 

病院は東京。僕は会いにいってないから詳しくは知らないけど、

 

リハビリして復帰を目指し頑張っていた時に、

 

動脈瘤が発見され、手術したとか。

 

その後は、順調にリハビリをしていると、

 

知人経由で聞いていたのですが、

 

突然の死。しかも自殺。

 

「あんなに元気だった人が・・・」

 

と、みんなショックを受けました。

 

そう、そんなもんです。

 

そりゃみんなかつては「元気」だったのです。

 

もしくは「元気に見えた」だけかもしれないけど、

 

人は突然でも、ゆるやかでも、とにかく死ぬんです。

 

自殺。

 

忌み嫌う、というか、憎む人も多いでしょうね。

 

口に出すのも憚れれる、みたいな?

 

 

命を粗末にする事はよくない!

 

 

最後までがんばるべきだ!

 

 

ってね。

 

 

でもさ、

 

自殺も数多くある死に方の一つだよ。

 

こういう事言うと顔をしかめる人がいる事覚悟で書くけどさ。

 

死因が「ガン」とか「心臓麻痺」だったりするのと同様、

 

「自殺」だったというだけ。一種の病気とも言える。

 

それも、とてもとても辛い病気です。

 

 

僕がまだ21歳の頃。

 

ミュージシャンを目指して、

 

銀座でバイトしながら、

 

バンドやったり、

 

初仕事のミュージカルの作曲なんかしたり、

 

まあそれなりに順調だった。そんな頃、

 

突然、ミュージシャン仲間の友人が自殺した。

 

北海道にいた頃からバンドをやっていて、

 

時同じくして上京して、

 

近所に住んで、夢を追いかけ、切磋琢磨していた友人。

 

当時、東京では知人のまだ少ない僕にとって、

 

親友と呼んでもよい間柄だったかもしれない。

 

しかし彼はある日、首を吊った。

 

 

僕は祖父がのたうちまわって死ぬ様や、

 

祖母が失意と不安にくれたまま死んだのも間近にいたし、

 

母がいつ死ぬかわからないような病状であった事、

 

その母の入院先で見た、重い病気や障害に苦しむ人々をさんざん見てきた。

 

その他にも仲良かった後輩がバイク事故であっけなく死んだり、

 

それなりに「死」に対して当時から思うところもあり、

 

ある意味「達観」しているようなつもりでいたが、

 

友の自殺は強烈だった。

 

僕と同じ、21歳の夢溢れる若者が、自ら命を絶った。

 

僕の人生の、何かがひっくり返った出来事だった。

 

今でも鮮明に覚えている。

 

死ぬ数日前、最後に電話した時、

 

死んだ後、青ざめた顔色と、鼻や耳の穴につめこまれた綿。 

 

 

僕は気が狂いそうになった。

 

いや、実際そのあたりから、

 

やがて呼吸不全とうつ病でおかしくなっていった。 

 

 

その出来事は理解不可能とか通り越して、

 

完全に僕の容量を超えていたのだ。

 

 

そこから僕はがむしゃらになって、

 

何かを振り払うように、

 

音楽活動しまくり、

 

アルバイトしまくった。

 

頑張ったから、いろいろとチャンスも増えたね。

 

しかし、酒を飲みすぎたし、不摂生しまくった。

 

まるで自分をいじめる苦行のように、

 

自分の限界を試すように。

 

 

そして、本当に壊れた。

 

 

僕の全身はこわばり、神経は病み、

 

呼吸がまともにできなくなり、

 

精神的にも「マトモ」でなくなった。

 

借金や、先の見えぬ絶望の中、

 

毎日「死ぬ」事ばかり考えた。

 

 

猛烈に、「死」に憧れた。

 

リストカットを繰り返す。

 

しかし、

 

動脈までナイフはなかなか届かない。

 

あと一歩、死ぬ勇気が欲しかった。

 

僕は自殺した友人の勇気を尊敬したりもした。

 

あの頃、死はすぐ隣にあった。

(おかげで不思議な体験もたくさんあったね

本当の自分|FREEDOM

 

しかしその後僕は運良く東洋医学に救われ、

 

大らかで、かつ実践的な東洋哲学を学び、

 

破綻した人生を一から立て直した。

 

よって、今の僕があるんだけど、

 

冒頭に述べた、今回の知人の自殺は、

 

またいろんな事を考えさせられた。

 

そこにどんな勇気があったのかはわからないが、

 

彼の自我は非常に苦しんだ、

 

という事はありありと想像できる。

 

 

この世界には、

 

「絶望」ってもんがあるのだ。

 

文字通り、望みが、絶たれる。

 

これは苦しいよ。

 

その渦の中にいると、

 

なかなか他の視点でものを考えられない。

 

人の意見なんて耳に入らないし。

 

 

だから僕は自殺した人を弱いとも、

 

まして悪いとも思わない。

 

命を粗末にしたなんて思わない。

 

ただただ、

 

苦しかったね、ご苦労さん。

 

としか思わない。

 

まあ、文章をまともに読んで、

 

まともな考え方できる人なら、

 

この記事が自殺推奨の記事でない事は理解できると思うけど、

 

自殺も、死に方の一つ。

 

そこに「良い」も「悪い」もジャッジはない。

 

そもそも、

 

ゆるやかな自殺している人が、たくさんいる。

 

毎日、体に悪いと知りながら、やけ酒飲んだり、ドカ食いしたり、

 

薬品依存したり、睡眠不足したり、不摂生したり。

 

これって緩慢な自殺だ。

 

僕の兄は完全にこれだった。

 

睡眠薬向精神薬を飲み続け、

 

食事は肉、肉、肉、肉、脂、油、脂。

 

水分はコーラ、アイス、コーラ、アイス。

 

運動なんぞするはずなく、

 

体重は100キロから測るのを止めたらしい。

 

そして脂肪肝になり、

 

ある日肝機能停止で自宅で突然死。

 

 

 

まあこれはかなり極端な例だけど、

 

僕は兄の死はほとんど「自殺」だと思っている。

 

急性な自殺も、緩慢な自殺も、同じ。

 

ただの病気、ただの死。

 

僕らはガンにならなくたって、

 

自殺しなくたって、

 

事故に合わなくたって、

 

ぜってぇ死ぬ。

 

死亡率100パーセント。

 

それを怯えるのか?

 

それを嘆くのか?

 

それを乗り越えるのか?

 

それを受け入れるのか?

 

すべて、

 

どーでもいいと言わせてもらおう。

 

そんなん、死ぬ時に考えればいいぞなもし。

 

 

だから、今この瞬間を生きよう。

 

全力で、今を生きる。

 

目の前の世界を、味わい尽くそう。

 

そうすると不思議と、

 

死が優しく感じられる。

 

死が忌むべきものじゃないとわかる。

 

立ち止まってみればいい。

 

世界はこんなに優しいのだ。

 

僕らが死んでも、

 

世界はなくならない。

 

優しい世界と一つになるだけ。

 

瞑想は不思議と、

 

そういう気持ちを実感させてくれる。

 

 

 

メニュー

 

長野、山梨の、八ヶ岳山麓近辺にて。

 

 

 

瞑想と対話セッション(約90分)

 

20000円

 

 

瞑想と対話セッション&自然散策(約4時間)

 

40000円

ご希望で昼食、温泉。

 

 

山歩き瞑想セッション(朝から夕方まで)

 

100000円

 2週間のメールサポート付き。

 昼食、温泉。

 

諏訪大社巡りコースもあります。

*全てに送迎、ハーブティー付き。

 

東京、名古屋近郊、出張セッション受け付けています。

瞑想会なども応相談。

 

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山歩き瞑想 感想|FREEDOM

瞑想だって、継続は力。|FREEDOM

 

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