「なんか知らん」けど、うまくいく。
僕は瞑想を日課している。
瞑想の面白いところは、
なんといっても、
心屋のぢんさんがよく言うけどさ、
それと同じで、
「なんか知らんけど」
物事がうまく行く、
ってことに尽きると思う。
そもそも瞑想って、なんのためにするのか?
それ以前に「瞑想」って、
「する」ものなのか?
だって「なんにもしない」が瞑想だから。
なんにもしない、
なのに、
うまくいく?
僕らが習ってきた常識や知識とは、
正反対。
僕ら人間は、
「学んで」「努力して」「積み重ねて」
何かを成したり、得たりするってのが、
これまでの当たり前のルール。
ルールだからね。
野球なら打者がホームに帰らないと点数が入らない、
サッカーはゴールにボールを入れないと点が入らない、
ってのと一緒。
学んで、努力して、積み重ねないと、
得点が入らない。
僕らの親の世代を見ればわかるけど、
みんな勉強して、努力して、歯を食いしばって、
自分の欲求を殺して、我慢して、家族のため、会社のため、
頑張ってきた。
そうやって「得点」を入れてきた。
でもそれで果たして、
どれくらい幸せなのだろう?
もちろん、幸せな人もいる。
でも幸せな人って、
案外そんな我慢とか努力とかしてなかったりする。
訓練や挑戦はしてても、それを「苦」と思わず、
好奇心の赴くままに、夢中でやった結果として、
何かを得たというだけだ。
そこで冒頭の話に戻るけど、
瞑想は何にもしないのに、
物事が得点が入る?(物事がうまく行くってことを得点として)。
ありえないでしょ。
そんなのまかり通ったら、
この資本主義社会、
この努力の結晶で頑張り続けて積み上げてきた人生、
全部ひっくりかえるでしょ。
でも、
もし、
もしもだよ、
人生には、
そんなルールがなかったとしたら?
この世界の根底から覆すんだ。
もちろん、
何かを習得する場合、
練習と積み重ねは必須。
僕だって楽器が弾けたり、歌を歌ったり、
文章書いたり、
修練の賜物である。
スポーツや格闘技もそうだろう。
でも、
「幸せになる」のと「技能を身につける」
は、関係ない。
自分の「好き」なことができて、
やりたいことをやって、
嘘や作り笑いなく、
本音で語らいあえる家族や友人がいて、
自由に暮らせる。
そのためには、
我慢もがんばりも、必要ない。
むしろ、
我慢とがんばりを重ねるほど、
実は幸せから遠ざかる。
手放してみるといい。
その手放す瞬間を日課にしていく。
毎日毎日、
手放す瞬間を、
世界に身を委ねる瞬間を、
感じる習慣。
それが瞑想。
リラックスして、
なんにもしない。
ほら、
君は今生きている。
世界はここにある。
それだけで十分だ。
今この瞬間で、
君は幸せだった、
それに気づく。
それが習慣になると、
いつもいつも、
自分に気づける。
自分の心に、寄り添っていられる。
そうなってくるとね、
なんか知らんけど、
うまく行くんだ。
瞑想って面白いね。
海外のセレブ達がやってるわけだ。
自分の内側に、耳を澄ませればいい。
自分の内側に、目を向ければいい。
本音で生きよう。
本音で、対話しよう。
メニュー
瞑想と個人セッション(90分)
10000円。
瞑想と個人セッション、自然散策(約4時間)
20000円 ご希望で昼食、温泉(実費)。
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